FC2ブログ

岩戸山歴史資料館で、山城のお勉強

岩戸山歴史資料館の、岡寺良さんの歴史講座、行ってきました。

岡寺さんは、九州歴史資料館の学芸員さんです。江崎は、ときどきお話を聞いたりしてお世話になります。


岩戸山


途中、地震で、ゆらゆら、皆さんちょっと心配しましたが、大丈夫で、続行。

主に、山城のお話でした。九州の分布図の話の時、「筑後国は、一国を治めたのは田中吉政だけです」と言われたので、少し嬉しかったです。

そうですと、こっくりとうなづきました。

外は、今も雪が降っております。

田中吉政公ご命日法要予定

2月18日は、田中吉政公のご命日です。

毎年、その前後で、田中吉政顕彰会の法要と総会が行われ、その催事として、八女福島文平座公演で、真勝寺を訪れます。

今年は、2月17日(日)に決まりました。


11時頃からの、総会後となりますが、真勝寺本堂にて、真勝寺さまと、顕彰会のご好意で、一般の方も入場できますので、皆さんおいで下さい。

田中吉政像

今年のお芝居は、角倉了以と、田中家三男の福島城主田中吉興が中心となり、運河の夢を語ります。

真勝寺3


絵咲木も、ずいぶんとこの歴史にのめり込み(笑)、詳しくなったとうれしく思います。


真勝寺

それに伴ってもいろんな方と知り合い、親しくなり、良い人生だと感謝しています。

ま…、決別もあるわけですが…。

還暦も、とうに見送り、あとどれくらい自分の思うように行動できるのかと、心が引き締まります。

前を向くしかないのです。

柳川城、今日は真勝寺土居を歩く

天気が良いので、柳川に。

はい、またです。

今日も、日吉神社からの、まず殿にご挨拶して、

広いわ、柳川城下。

柳川城下田中吉政銅像

本丸跡の出前を左に曲がり、寺跡を妄想しつつ歩き、日吉神社の参道に戻り、ストリートビューで見ていたら風景を自分の目で確かめ、和菓子のとらやさんに入り、ご主人と奥さまと世間話。

日吉神社参道3

日吉神社参道2


日吉神社参道

そこから、市役所側に曲がり、真勝寺方向へ。

真勝寺に入らずに、そのまま直進。

柳川城堀

小さい可愛いカフェでお茶して、

城の外堀の外の土居を眺めて来ました。


右側が、真勝寺の裏になります。


柳川城堀2


突き当り、奥の方が土居です。

柳川城堀3

ここが、城の南東の端です。

この土居は、柳川城の東大手瀬高御門より真勝寺の南に続く藤吉、今古賀の土居として江戸時代には、柳川城惣曲輪の「外曲輪の土居」といわれた貴重な遺跡です。


「「柳川城沿革」によると、瀬高御門北の際から北の角まで424間(763m)、鋤崎東の角北側から井手橋門の際まで353間(635m)、外曲輪土居の総合計7163間(12893m)、すなわち、3里11町23間とす」


柳川城堀4

豊臣秀吉が、京都に御土居を作った…、一緒に見た経験がある吉政公です。

その土居、そんな感じでしょうか。


地図のなかの柳川

柳川城の絵地図をこれで見てみました。


この箱の中に、古地図の複製がいっぱい。

柳川絵図2


立花氏の時代の絵地図ですが、ほぼ、体制は変わっていないそうですので、規模は同じ。

田中氏の時代に、作られたということです。


広い、広いぞ、柳川城!

この間行ってきた日吉神社、坂本町、見えます。

きゃー。

柳川絵図


いつも、しつこく歩いている道、残っているのですね。

柳川城下


堀の幅が書いてありますが、わからない字を崩し字検索で調べたら五のようでした。


49949302_2058667547550062_7942584107395973120_n.jpg


これで、当時の堀の幅が分かります。

なんだか、うれしいです。


柳川城の歴史

「旧柳川藩志」第一節城内村分
坂本町の日吉神社の項

柳川藩志


…柏原天皇御宇文亀永正の頃、三潴郡蒲池筑後守治久社村の地内に一城砦を築き柳川城と名つけ、この鎮護神とす。依って社領53石を寄付す。と、ある。


柳川藩志2

やはり、その蒲池氏の頃の柳川城は、砦の規模だったのね。