自宅がある広川町吉常の歴史をちょっと気になって調べてみました。
角川日本地名大辞典によると…

最後の所に、吉常殿と呼ばれる宝篋印塔があると言うので探してみました。
すると、歴史好きのおじさまが、吉常公民館の敷地内にありますって。
あったーー。

この社の前は、何度も通っていたのに、知りませんでした。
あー、文平さんと私が写り込んでます。
恥ずかしい(´艸`*)

秀吉の九州平定より前の天正の頃、耳川の戦いに行った甘木氏に従って付いて行って戦死した吉常殿。
名前なのか、通称なのか、苗字なのか。
どんな人だったのでしょうね。
この土地の郷士だと書かれています。
小土豪でしょうか。
宝篋印塔を立てて、ここに、吉松宮を勧請して神社になっていたそうです。
昭和9年に、半分竹組合事務所になって、いろいろあって、今は、地域の交流の場。
あと二か所、この他に戦死した武将をお祀りしているようです。
↓ 文平さんが、初めて広川町でお芝居をするようになった時、「慈しみの大地」のポスターと記念撮影したのが二年前。

この手前に、社があったとは。
知らなかったー。

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角川日本地名大辞典によると…

最後の所に、吉常殿と呼ばれる宝篋印塔があると言うので探してみました。
すると、歴史好きのおじさまが、吉常公民館の敷地内にありますって。
あったーー。

この社の前は、何度も通っていたのに、知りませんでした。
あー、文平さんと私が写り込んでます。
恥ずかしい(´艸`*)

秀吉の九州平定より前の天正の頃、耳川の戦いに行った甘木氏に従って付いて行って戦死した吉常殿。
名前なのか、通称なのか、苗字なのか。
どんな人だったのでしょうね。
この土地の郷士だと書かれています。
小土豪でしょうか。
宝篋印塔を立てて、ここに、吉松宮を勧請して神社になっていたそうです。
昭和9年に、半分竹組合事務所になって、いろいろあって、今は、地域の交流の場。
あと二か所、この他に戦死した武将をお祀りしているようです。
↓ 文平さんが、初めて広川町でお芝居をするようになった時、「慈しみの大地」のポスターと記念撮影したのが二年前。

この手前に、社があったとは。
知らなかったー。


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最終更新日 : 2023-08-17