くるめすたいる9月号文学散歩コラム「田中吉政公 お慕い申しあけそうろうゆえ」のネタバレになりますが、黒木町にある猫尾城について書いています。
田中吉政の時代の城主は、家老の辻勘兵衛でした。

下記は、それについてのメモのような物。
◎辻 重勝(つじ しげかつ)通称辻勘兵衛は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。
田中吉政の家臣。杉江勘兵衛、藤堂高虎の家臣・渡辺了(勘兵衛)と共に「三勘兵衛」と言われます。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに従軍した。岐阜城を攻略し、石田三成の追撃戦では河渡で交戦し、石田軍の殿・杉江勘兵衛を討った。
主君・吉政が関ヶ原の戦功で筑後国柳川城32万石の大名になると、猫尾城代を務めた。
◎黒木の猫尾城の横側、大雲山紫光院 宗真寺 [宗眞寺] 浄土宗は、治承2年(1178)黒木助能が善能禅寺を今区に建立。
慶長12年(1607)黒木城番辻勘兵衛が長男勘太郎の菩提の為、善能禅寺跡に浄土宗・宗真寺を建立しました。
そうそう、黒木と言えば、昨年、広川町で上演した「慈しみの大地」の中村五郎兵衛が、元々は、この黒木城主の家臣でしたね。
そのことも、少し触れています。

黒木の猫尾城も、歴史ある城ですね。
くるめすたいる文学散歩を、← (バックナンバー) も、読んでくださいね。

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田中吉政の時代の城主は、家老の辻勘兵衛でした。

下記は、それについてのメモのような物。
◎辻 重勝(つじ しげかつ)通称辻勘兵衛は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。
田中吉政の家臣。杉江勘兵衛、藤堂高虎の家臣・渡辺了(勘兵衛)と共に「三勘兵衛」と言われます。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに従軍した。岐阜城を攻略し、石田三成の追撃戦では河渡で交戦し、石田軍の殿・杉江勘兵衛を討った。
主君・吉政が関ヶ原の戦功で筑後国柳川城32万石の大名になると、猫尾城代を務めた。
◎黒木の猫尾城の横側、大雲山紫光院 宗真寺 [宗眞寺] 浄土宗は、治承2年(1178)黒木助能が善能禅寺を今区に建立。
慶長12年(1607)黒木城番辻勘兵衛が長男勘太郎の菩提の為、善能禅寺跡に浄土宗・宗真寺を建立しました。
そうそう、黒木と言えば、昨年、広川町で上演した「慈しみの大地」の中村五郎兵衛が、元々は、この黒木城主の家臣でしたね。
そのことも、少し触れています。

黒木の猫尾城も、歴史ある城ですね。
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最終更新日 : 2023-07-20