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2023-06-02 (Fri)  17:07

こんな家系図、だれがやった仕事なん?

田中家家系図だと、調査を頼まれ、ここしばらく、モヤモヤしていました。

田中家系図

田中吉政の嫡男吉次、のちに吉久が、この家系図では、仁助になり、黒田家に士官するとあり、

どうして?と。

誰かと間違われていないかと、ずーと、調べていました。

私も、大阪の陣の前後数年が、吉次の手掛かりがないので、もしかしたら、ここで一時行方知れず、黒田家へ?と心が揺れていました。

田中家系図2

黒田家に行ったのは、吉政の弟、清政の家系が分かっています。

どこかで間違っていないか?

その経路は作られていないか?

と、探っていました。

あった、居ました!

「仁助」やっぱり清政の孫の1人。

下は、石崎若狭の子孫さんから頂いた家系図ですが、田中清政の所に婚姻があって、参考にしていますが、

助かりました。

田中家系図3

以前調べた佐賀の田中家の方も、田中吉政の子孫だとしか分かっておらず、先祖祭りをされておられました。

親族で、一番の出世頭なので、無理もないのですが、これの書かれた当時、その生業としていて書いた人が、調べた本が良くなかったのではないでしょうか?

それとも、独断でやっちゃったか?

だいたい、それぞれの引き継ぐ名乗りのようなものがあって、吉政の所は、名前の他に五郎左衛門、五が入ったりしています。

清政の所は、七です。

家系図を見ると、七郎左衛門が書かれていますし。

吉次は、堤台城へ行っていて、息子は、田中家と仲の良かった宮木家に家老職でしばらくは任されて五郎左衛門が、日記に出てくると、宮木家の研究者は言っています。

子供は沢山いたかもしれませんが、殆どが嫡男の家系図しか残っていない気がしますね…。

でも、これは、いかん。

ちょうど、吉次が行方不明説があって、この人だろうとくっ付けた…。

それとも、そんな小説みたいなものが存在した?

いかん、いかんですよ。

明治時代に造ってもらった人は、これを信じて、うちは、田中吉政の嫡男の家系から嫁入りしてきたと、ずっと思って来られて、

そのお婆ちゃんが亡くなられ、ずっと大事にしていたこの家系図を持ち込まれたわけで…切ないです。

しかも、よくよく見ると途中田中の血筋は絶え、養子で繋げておられる…。

辛いです。

でも、これで、調査は終了です。

田中家、問題が深すぎます。



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最終更新日 : 2023-06-02

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