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Top Page › 歴史 › 関ヶ原の戦前哨戦の裏側は
2023-03-24 (Fri)  13:45

関ヶ原の戦前哨戦の裏側は

昨日からの検証です。

書状の裏側で起こっていたことが見えてきました。

関ケ原の前哨戦、伏見城の戦いの時、8月1日の伏見城で鳥居元忠は、鉄砲頭鈴木孫三郎に討ち取られました。

伊賀守は鳥居元忠のこと。

8月2日家康がこの書状を吉政に宛て、鳥居さんを大和迄船で行かせたいと書いた時、鳥居元忠は、間に合わなかったか、すでに亡くなっていたことになります。

徳川家康書状4


こういうやり取りを徳川家康と田中吉政との間でなされていた事実は、重要視されてこなかったのですねぇ。 

↓の年表はよく見る流れです。

08/01合戦 西軍が伏見城を攻め落とす。家康家臣で忍城主松平家忠は討死、城将の鳥居元忠は自刃。家忠享年46歳、元忠
享年62歳。
   08/01 軍事 岐阜城主織田秀信が遠藤胤直のもとに激励状と鉄炮三十挺および弾薬を届ける。
   08/02 軍事 上杉景勝勢が越後に出陣、旧臣らがこれに応じて一揆を起こす。
   08/02 政治 徳川家康が下野小山から密使を白石へ走らせ、伊達政宗に覚え書きを与える。
   08/03 合戦 前田利長が大聖寺城を攻略、城将山口宗永。修弘父子は自刃する。
   08/05 政治 石田三成が清洲城の開城を求める使者を派遣するが、留守居の大崎玄蕃はこれを拒否する。

この、8月1日、2日にそんなことがあったんですねぇ。

知らなかった…。

大和って、奈良ですね。

07/29 政治 徳川家康が大和掌握を策し、柳生宗厳のもとへ書状を認め子の宗矩を走らせる。遠藤慶隆に対しては美濃郡上郡回復のための侵攻を許可する。石田三成が佐和山から伏見に到着する。
  
あ、ここね。

家康さんは、鳥居さんを、掌握した大和に行かせたかったのですね。

でも、無念の討死。

どなたかの小説では、伏見城は、もう、いつ死んでも良いからと年を取った武将が入っていて、誰かお赤飯を炊いて振舞われたと。

なるほど…。

その裏に、家康は、助けようと吉政に船の手配を頼んだってことですよね。

それも、家康は吉政に、念を押して、山岡景友の出てくる書状とこの鳥居元忠の出てくる書状との2通も。

おやおや。

田中吉政、頼りにされています。



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最終更新日 : 2023-03-24

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