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柳川城の天守閣を作ったのは誰?

先日から、追跡している件。いったいどこで、完成形の柳川城が、蒲池氏や立花氏が作った城だと、間違ってしまったか?

田中家が改修しただけにとどまってしまったか?

本屋さんで、ついに発見してしまった。

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この本を見たら、確かに、「白秋が言った言葉のように蒲池城の堀割は、3重に廻り…など、柳川三年肥後三月、肥前、筑前朝飯前で誰も落とせなかった」とか書いてあった。

以前、福島城の事を書いてあったある人のブログに、「福島城には天守閣は無く、粗末な屋敷しか無かったので、八女市長が、その人にどんな城か尋ねて来たので、そう言ってやった。ふるさと創生のお金で城を作ろうと思ったらしいが、無駄なことをしなくてよかったよ」と、書いてあったのを読みました。

三重の天守閣があったのに、その郷土史家は、そう市長に言ったと誇ってブログに書いてあるのです。

今、もし、福島城がセメント作りでも何でも建っていれば、どれだけいいかと思います。

話を戻すと、この本がまだ、出回っているので、これを資料にして、ブログに書いたりすることで、そういう件が出回ってしまうのだな…と思います。

小説ならまだしも、田中家の時代を知らなすぎです。

今からでも、その時代の各々の技術の真実を書いてほしいと切に思います。

穴太衆でなければ、あの石垣も、堀割も無かったかもしれません。穴太衆でさえご存じないでしょうね…。

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