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柳川に、お正月のご挨拶

お天気が良かったので、久しぶりに、柳川を歩いてきました。

筑後国主田中吉政公に、お会いしてきました。

田中吉政像


初代筑後国主、この官職は、吉政公だけが名乗ることのできるものです。

田中吉政像二


日吉神社の裏手になると知ってはいたのですが、久しぶりの事で、わざわざ遠回りになってしまいました。日吉神社の前を右側に曲がり、次の道を左に回り込み、左。

すると、吉政公の後ろ姿が見えてきましたよ。


田中吉政像散策三


柳川市坂本町16-10番地に、立っておられます。


掘割に着いて、船下りの人達を眺めて、

船頭さんが、吉政公の説明をあっさりと「城と堀を作った人」だといったので、

「32万5千石なんだよーー!」と叫べば、船頭さんが、

「助手がそう言っています!」

お客さんが、大笑い。

てへへ。

田中吉政像散策五

水面の見て、左に遊歩道が見えたので、どこまでかいけるだろうと歩いてみました。

すると、日吉神社の駐車場側の堀端にでました。

日吉神社

一周回って来てしまいました。

さっき、一度お参りしましたので、逆写しで。


日吉神社二


大きなお多福さんのお面の口をくぐります。

日吉神社六


ということは、この神社に車を止めさせてもらって、堀端の遊歩道を歩けば、すぐってことでした。

田中吉政像散策四

この地域は、坂本町。

近江(今の滋賀県)から、吉政公に頼って、たくさんの人が移住してきました。


また、次の機会に書きますが、近江国上坂村の順慶寺の和尚さん(宮川氏)が、檀家24家族、友達も引き連れて。吉政公を慕ってやってきたのです。

もともと、日吉神社の総本社が近江国坂本(今の滋賀県大津市坂本)にあり、そこから村頭が勧請したと言われていて、それにちなんで、坂本村となったと言われています。

そして、ここは城の内。

近江国の人々で、賑わったことでしょぅ。



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