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2017-02-21 (Tue)  19:16

秀吉を支えた武将 田中吉政

秀吉を支えた武将 田中吉政

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この本の2ページにこうある。

田中吉政ー秀吉の家臣
この武将のことを、我々はあまり知らない。
吉政は、近江八幡城主・豊臣秀次の宿老筆頭をつとめた。
不在がちな城主にかわって、近江八幡城や城下町は
この吉政によって建造されたと言えるかも知れない。
吉政は、小田原の陣の後、三河国岡崎城主となった。
尾張国清州城主となった秀次をたすけるとともに、
岡崎城下町の建設、矢作川の築堤普請に尽力した。
吉政は、関が原合戦で石田三成を捕らえた。
三成とは同郷で、昵懇で
だからこそ、追手となることを自ら望んだという。
吉政は、関が原合戦後、筑後国柳川城主となった。
柳川城と城下町の大改造を行い、
有明海沿岸の築堤は、その干拓事業の端緒となった。
小身から三十二万石余の太守に成り上がり、
多くの城郭建築と、土木工事を手掛けた彼の一生は、
地域にとっては重要で、最も喧伝されて然るべきであろう。
秀吉による日本改造の計画として有名な、
太閤検地・兵農分離・刀狩りなどは、
彼のような能吏に支えられてこそ、初めて成功した。
日本近世への扉を開いた人物の一人、
その吉政の経歴と政策の全貌が、
この一冊によって、初めて明らかになった。

すごくよくわかる。
この本は、平成十七年に出されている。
それで、それに加えて、新しくわかったことを私たちはこのブログにあげていってます。
吉政公が、百姓出身ではありえなかった事情、橘朝臣とい貴族の位。
それから、世の中のほとんどの人が、柳川藩と勘違いしていること。
筑後一国、三十二万五千石の国の主、国主だったこと。
関ヶ原の前に治めていた立花氏は柳川国の城主で、その頃は、筑後が小さな国の集合体だった。
だから、規模、範囲が全く違う。
そして、田中家が改易になった後、帰ってきた立花氏が治めたのは、吉政の時代の筑後国の約半分の、ちょっと狭い十万石。
それが柳川藩となる。
そして、有馬氏の久留米藩が二十二万石。
筑後の国が、二分したのです。
いかに吉政公の時代の筑後一国が広かったか……。
吉政公を、初代柳川藩主と?
よくブログで見かけます。
柳川は、本城があっただけです。
初代筑後国主なのです。
筑後全域には10の支城がありました。
私の住んでいる八女の地は支城の福島城がありましたが、柳川藩の福島城とは言いません。
筑後国福島城です。
分かりますか?
柳川藩と言うのは、この分かれた時の立花氏の藩を言うのですね。
しかも、その二十年あまりの、短い治世の中でどれだけのことをなしとげたか?


頑張って知らせていきたいです。

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最終更新日 : 2017-11-17

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