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絵咲木陶器と猫とカフェ日記 そして田中吉政の歴史

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Top Page › 歴史 › 柳川城のこと
2017-01-13 (Fri)  14:09

柳川城のこと

フェイスブックにも吉政公のことを書いています。


昨日もらったメッセージがお勉強になりますので、載せておきます。


九州の、加藤家、田中家は、初めから改易と徳川幕府は、決めていたと思われます。何故ならば、両家共豊臣大名の中でも重臣中の重臣九州の中央部を両家におられては、後先幕府にとっては、心配の種になるからです。改易後どの大名を入れるか?の時元柳川藩立花宗茂公が、義の武将で元の場所に(柳川)に戻してやれば幕府に尽くしてくれると考えたからでしょう!

柳川に戻られた宗茂公は、柳川は、元より筑後国の変わりようにさぞ驚かれた事でしょうね。柳川から横浜までの距離がある掘割。
土塁を高くして五層の天守閣を造営(今でも高い建物を建てる時は、コンクリートパイルを深く打ち込まなければならない程の湿地帯)
有明海の干拓(慶長本土居)筑後川と矢部川を結ぶ運河(花宗川)の開削
柳川〜久留米の街道通称田中道(現在の県道柳川線)筑後川の直流化(久留米瀬の下開削)等数々の田中吉政公の功績です。この仕事をたったの20年でやっておられます。本当に凄い人です。


おぉーすごいです。

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宗茂公が、柳川に戻られた時絵師に書かせた柳川城の絵です。
復元したいものですね。

美しいですね。(*^^*)

別名舞鶴城と言われています。
吉政公が、柳川に入る前の柳川城は、蒲池氏が蒲池城の支城として建てた城です。又田中家改易後、筑後国は、久留米藩と柳川藩の二つの藩に分かれ久留米藩が21万石柳川藩が、10万9千石三池藩が、1万石計32万9千石になります。
田中時代が、32万5千石なので田中時代で4千石石高を増やした事になりますね!やはり凄い武将ですね


おぉー、ワンダフル。





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最終更新日 : 2017-01-13

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