猫好き陶芸作家のカフェ絵咲木へいらっしゃいませ・・・



   
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山口 久美子

Author:山口 久美子
陶工房 カフェ ギャラリー 絵咲木

猫好きな店主の,ほのぼの毎日。

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福岡県八女市本町65
tel 0943ー22ー2634
月曜店休日

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はちくんとさくくん。二匹ではっさく。

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アメリカンショートヘアーのみかん、看板猫10歳♀。長女のお嫁入りでお引越し。

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かぼす♂ 2014.5月1日から天使猫修行中

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H23.5/26お空の住人に 茶太郎♂永遠の15歳

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狩が得意で気ままなコルト♀10歳(自宅組)

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小さな甘えん坊のココア♀17歳で天使猫修行中



中村文平 苺畑の魔法使い  [オンデマンド (ペーパーバック)]

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「月のルルカと黒猫スプーン」

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高校の文芸部の先輩、中村文平さんの 児童書です。

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みかんちゃん

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田中を名乗った時期

   
最近の田中ご先祖捜索クラブ?の疑問。

橘姓だったご先祖が、いつ田中を名乗ったかを知りたい。

橘義清で検索してみると出てくるのがこんな感じ。

1、近江山中城は、建久5年に山中俊直によって築かれた。 山中氏は、橘諸兄の後裔橘義清が鈴鹿峠山中に住して山中氏を称し、俊直の代に鈴鹿山麓の山中村地頭で鈴鹿警固役を務めるた。 その後、惣領家は柏木御厨の地頭に補され山中氏屋敷移住し、甲賀二十一家に数えられる国人となった。

この橘義清さんは、よそのページをお借りすると、

寛弘7(1010)年ごろ、出生
 万寿3(1025)年ごろ、大学寮入学か
 長元5(1032)年ごろ、春宮少進
 長元6(1033)年12月、六位蔵人
 長元7(1034)年10月5日、祭主大中臣輔親が碧珠を献上するに際し
                   主上の御前に勤仕(『左経記』)
            10月20日、蔵人の労により正六位上・修理亮を拝命
                   (『日本紀略』『魚魯愚鈔』文書標目)
 長元8(1035)年5月16日、『賀陽院水閣歌合』に蔵人式部少丞として
                   右の員刺・方人を勤める
 長元9(1036)年4月22日、後一条天皇崩御で御遺骸を上東門院に移す際、
                   父義通らとともに御棺を担ぐ
            5月17日、先帝蔵人7人の中にあり、重成(兼長)・頼家
                   とともに素服を給すべく定められる
            5月19日、遺骸を浄土寺にて火葬の際、御棺の運搬を担当
            5月24日、掃除
            5月25日、御仏供養に勤仕(『左経記』)
 長暦元(1037)年3月1日、女御嫄子立后に際し中宮少進に任ぜられるか
            6月28日、中宮が神饌を賢所に奉った際、勤仕
            8月2日、鹿島使発遣に際し勤仕(『平記』)
 長暦2(1038)年9月13日夜、 『権大納言源師房家歌合』出詠
 長久元(1040)年12月、少納言見任(『春記』12月23日)
 長久2(1041)年4月7日、『権大納言源師房家歌合』出詠
 長久3(1042)年閏9月晦日、高陽院で開催された歌合に参加
            このころ『橘義清歌合』を主催
 寛徳元(1044)年ごろ、肥後守任官
 永承6(1051)年12月、勘解由次官に任ぜられる(『魚魯愚鈔』巻七、「兼国勘文」)
 永承7(1052)年9月19日、『関白家蔵人所歌合』に出詠
 天喜4(1056)年、正月、丹波介を兼任(『魚魯愚鈔』巻七、「兼国勘文」)
 天喜5(1057)年2月2日、春日祭藤原師実の一行が社頭で祓を受けた際、
                  従者として春宮大進義清参入
 康平2(1059)年ごろ、没?

そして、この義清さん、田中吉政にも繋がると書いてあるものも多い。

それが山中に?

どのタイミングでしょう。

ひょっとしてその子供のとき、分家したのでしょうか?

最近見つけた文章に、

「吉政公の先祖、伯耆守田中政弘は、居河内国田中村浅井氏の家譜にある」と記されていました。

その田中村は兵庫県神戸市東灘区の旧・本山村域の西南端、国道2号線を南限・住吉川を西限・JR東海道本線を北限らしい。

そこに 三王社を見つけました。

14237755_1096420597108100_7792999205211725521_n.jpg

紋が三つ巴です。

ご先祖は、ここに居た時期があったのかもしれません。

また、「近江国八幡村の橘氏族田中政弘を祖とする伯耆守田中宗廉が三河国の浅井村に来村し」と見つけました。

八幡村とは、探したら現在の滋賀県蒲生郡竜王町田中でした。

c0196076_953235.jpg


吉政のご先祖様は、ここにも居たのですね。

八幡社(浄満寺jまで、いつものストリートビューで行ってみましたよ。

結果、田中政弘さんが神戸の灘あたりに居て、伯耆守田中宗廉が竜王町に移り、それから浅井村に来たってことでしょうか。

その間、9代後と書いてあるものも発見。

かなり前から、田中を名乗っているのと同時に、そこは地名が田中です。

田中村を探して、迷子状態です。

詳しい方、ヘルプミー。


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