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絵咲木陶器と猫とカフェ日記 そして田中吉政の歴史

猫好き陶芸作家のカフェ絵咲木へいらっしゃいませ・・・

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2016-08-19 (Fri)  14:41

たち花のつし

まだまだ暑い日が続きます。

ハチ君とサク君は、暑いのにしっかりくっついて..、。

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17日に大木町へ出張陶芸教室に行ってきました。

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たまたま絵咲木のカフェをご利用頂いて、ご縁が繋がりました。

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先日、三潴町のお芝居公演も見に来て頂き、感謝です。

教室には、飛び入り参加の男の子が、場を和ませてくれました。

そして、大木町福祉関係の職員さんが参加してあり、来年度のお仕事の依頼がありました。

お店に戻ると、相変わらずの歴史のモードに。

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かねてからの、滋賀県高島市安曇川の地図の下書きを書いてみました。

ここから、いつものように、書き込んでいける本地図を書きます。

午後、八木書店さんから、本が届きました。

「兼見卿記 第一」と「お湯殿の上の日記 〔7〕」どちらも、同じ時代頃のもの。

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吉政が生きた時代の一こまの日記です。

お湯殿の上の日記 〔7〕には、吉政の娘の夫、大外記中原師廉の娘を宮廷に入れることの記述があります。

天正8年〔1580〕の2月4日の項
たち花のつしのけきもろかとむすめこのほと宮の御かたにさふらはる..

この時吉政の孫娘にあたる師廉の長女は3歳くらいでしょう。

濁点が全くないので、それらしいところに濁点を当てはめて読みます。

長男の師生はその後の1581年に生まれています。

ここの文章から分かることは、長女が家系図では、師生の下に書かれていますが、お姉ちゃんだったということ。

当時は、見習い女官として幼くして出仕することもあったようです。

王親町天皇の頃の誠仁の官女となったのですね。

もうひとつ、「けき」は、大外記の役職のことでしょう。

「たち花のつし」が、橘の意味なのか?つしはづしかつじか?

師廉は橘姓ではないけれど、吉政の橘を意識したのか?

謎です..。

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最終更新日 : 2016-08-19

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