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絵咲木陶器と猫とカフェ日記 そして田中吉政の歴史

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2016-07-09 (Sat)  16:36

参加型歴史講演とお芝居の会

長い雨が続き、止んだかと思えば熱中症になるかと思うほどの温度。

そして、また雨。

変な気候です。

またどこかで地震があったりで。

そんな中でも、歴史のお勉強は続きます。

「角川日本地名大辞典」

これ、結構面白い。

地名として残されたメッセージを読み解きます。

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でも、これ、滋賀県ですけどね。

今、はまっている時代が、1100年くらいの時代。

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なぜかというと、先日視察に行った場所高島市の田中吉政のご先祖を見つけたいのです。

以前は、吉政の出身地として考えられていた高島市安曇川町田中。

今は、いろんな資料から長浜市虎姫町三川と分かりました。

でも、なぜ、高島の田中の地名が言い伝えられたのか?

橘氏の流れが、山中に土着したことは分っています。

橘義清の時代に田中に住したと、資料では見えます。

その何代か後にも、そこから田中と名乗ったと書かれているものもあります。

でも、現地では、今現在、痕跡もなく、すべて佐々木一族の田中が治めた土地、城と口々に言われるのです。

確かに、その時代、佐々木一族は力を持っていたようです。

でも、えー?何でなの?いつからそうなったの?

吉政公の出生地は三川だと思います。

でも、ご先祖はそこに居た時期があったんじゃないのでしょうか?

佐々木源氏流れと橘氏流れと、そして、また高階氏流れとごっちゃになっているようです。

お寺の古文書に出てくる城主田中下野守理春公の名前が、その佐々木の系図にないのですよ。

ないなら、どこに居たのよ、城主よ。

八女に帰ってきた頃の文平さん。

今、こうして吉政公の小説やお芝居に没頭できるなんて思っていなかったでしょうね。

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自分探しをするどころか、忙しい毎日になりました。

今度の三潴生涯学習センターの公演は、今からの私達の方向を決めるキーポイントになるかもしれません。

19日当日、他所の公民館の職員さん達が視察のために見に来る予定です。

今、公共施設での地域に根ざした取り組みが行われている中、その内容に悩んでおられるようです。

郷土の歴史を学べて、体験できる、楽しみにもなる、いい内容みたいですよ。

慶長本土居工事の場面などに、地元の方達が参加出演します。

そんなお手伝いもできて、うれしいことです。

興味のある方は、どうぞお越し下さい。

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最終更新日 : 2016-07-09

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