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絵咲木陶器と猫とカフェ日記 そして田中吉政の歴史

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Top Page › 筑後国主田中吉政公 › 宮城豊盛の家臣
2016-06-17 (Fri)  19:43

宮城豊盛の家臣

この古い本にめぐり合って、今の怒涛の動きが始まりました。

「古記録の研究下」斉木一馬著

平成元年に吉川弘文館から出されたそこから20年前の研究論文をまとめたもの。

最初は、気にならなくて、買ってしばらくは放置していた。

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たまたまネットに上がってきて、放置していたけど、ふっと読んで見たら、筑後守田中吉政の女の文字。

「え?」

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息子達の消息もよく分からない中、娘が嫁いだ先が大外記中原師廉という公家。

そこから、孫達も、女の子は宮廷に出仕。

これって普通じゃないでしょって感じでした。

嫁いだ時期も、まだまだ吉政公が出世していない頃で、どうしてってパニックでした。

このごろ、不思議なことがいっぱいで。

吉政公の関係深い「宮部継潤」を久しぶりに調べていたら、吉政公の父重政公が三木城攻めのときに戦死していたことが分かりました。

さらに宮部継潤の官職が中務卿方院〔中務省の律令制における八省の官長のようなものとお寺の高い位かな〕

ということもわかり、人のブログなどや小説ではお寺が嫌になった武力にたけた人物になってしまっていたりしますが、違うね。

これは..。

最後の最後まで、秀吉の相談役の人物だし、そこにいつも吉政親子が居ましたね。

そうそう、何が不思議って、戦いの場所とかが鳥取城など話をしていたら、今日問い合わせのメッセージ。

ネットで、今まで上がってこなかったことが、必要に応じて上がってくるのね。

その頃、宮部継潤と行動を一緒にしていたであろう、宮城豊盛の家臣の名に五郎左衛門とあるが、吉次の孫の政信ではないだろうかとのこと。

すぐ調べたら、年月的には合っているようです。

年月の空白が埋めれますように。

でも、この鳥取城とか三木城とかブログにはまだ書いてないのにな。

知りたいことが、舞い込んで来る。

吉次が行ったとする京都南禅寺の住職が、この宮城家の一族だそうです。

調べておられるあちらと、お互い知っていることを合わせたら、きっと真実が見えてきますよね。

すごいなぁー。

子供の頃に見た、里美八犬伝のようなわくわく感〔笑〕、有志が少しずつ呼び寄せられて来る!

埼玉県の、田中家の子孫でよく調べておられる方から電話が舞い込み。

皆さんは、この場所、ここの電話やブログ、どのようにして知られるのだろう?



24日.25日.26日でまた視察の旅に行って来ます。

24日は、江戸城です。

そしてまた滋賀県。

最後の日は、高島市の歴史資料館の学芸員さんのお話を聞きながら、田中発祥の地をめぐります。

7月8月は、公民館などの出張陶芸教室の予約が入り始めました。

それに孫ちゃんも生まれる。

絵咲木ばーばは、着々と、時を刻みます。

パパさんの渋い顔、気にしない気にしないーー。

とにかく、吉政公の不思議体験を、しばらく楽しみます。

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最終更新日 : 2016-06-17

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