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絵咲木陶器と猫とカフェ日記 そして田中吉政の歴史

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Top Page › 筑後国主田中吉政公 › 平安京
2016-05-01 (Sun)  20:57

平安京

いろいろ読んでいたら、

「源平藤橘」という、源氏平家藤原橘をいい、皇族以外では、この4家だけが、摂政関白を出すことができるとされるそうです。

このため庶民の身分から身を立てた豊臣秀吉も、関白に任じられる前に、藤原姓を一時期名乗っています。

源氏、平氏はどちらも天皇家を祖先とするので、そのはじめの天皇の名前を取って清和源氏、嵯峨源氏、桓武平氏、文徳平氏など呼ばれています。

藤原は、天皇家とともに、1200年以上日本を支えてきた家系で、大化の改新の立役者、藤原鎌足をその祖とします。



敏達天皇と春日薬君娘の第一皇子・難波皇子の孫で太宰帥を務めた美努王と犬養三千代夫人が結婚して、葛城王(後の橘諸兄〕が生まれます。

この犬養三千代夫人は、軽皇子〔後の文武天皇〕の乳母を務めていました。

そこに、藤原不比等が求婚し、彼女は夫を捨て、不比等の元へ走ります。

おぅ..。

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697年頃のことでありました。

そして、まもなく、軽皇子が祖母持統天皇の強力な後ろ盾により、皇位につきます。

ここからが、藤原1200年の栄華が始まるのです。

けれど、文武天皇は、707年わずか25歳でこの世を去ります。

皇位は文武の母の元明天皇に引き継がれます。


724年皇位は文武の遺児聖武天皇に引き継がれました。

天皇の母は、三千代の力で文武天皇の妃となった不比等の娘宮子。

藤原の時代の復活でした。

でも、三千代は、733年に死去、ここで三千代と美努王の間の子供葛城王が臣籍に降下。

橘諸兄と称します。

ここからが橘家が始まりました。



また、こんな文章も。

この天皇の母は、文武天皇を即位させ、さらに首皇子(聖武天皇)の即位を夢みた藤原不比等は、後宮の女性たちをコントロールするために、県犬養三千代を必要とし、夫のいない間に、寝取ってしまったのだろう..。

目的のためには手段を選ばない藤原不比等のやり方を熟知していた県犬養三千代は、夫や子を守るために、藤原不比等に従った振りをしたと考えられます。

県犬養三千代はのちに元明天皇から「橘」の姓を下賜かしされるが、葛城王が臣籍降下するとき、母の姓を名乗ることを願い出て許されます。

こうして橘諸兄が誕生したが、もし仮に、県犬養三千代が夫(橘諸兄の父)を裏切っていたとしたら、橘諸兄は母の姓を継いだだろうか。

やはり県犬養三千代は、夫や子を護るために、やむなく藤原不比等に従ったのだろう。それを知っていたから、橘諸兄は母を許したに違いない。

とか、

1200年もの前のことですが、いや・・・なんとも。

でも、まぁ、ここで橘家の祖が始まったわけで。

その流れが、吉政公に続く..のですね。

400年前のことに驚くばかりの毎日でしたが、1200年前とは。

早く抜け出したい、平安京。




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最終更新日 : 2016-05-02

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