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絵咲木陶器と猫とカフェ日記 そして田中吉政の歴史

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Top Page › 筑後国主田中吉政公 › 兵部大輔従四位下田中橘朝臣吉政
2016-04-27 (Wed)  13:08

兵部大輔従四位下田中橘朝臣吉政

公卿類別譜 というサイトを見てみました。

その中に橘氏の項があります。

敏達天皇皇子難波親王の四世孫葛城王(橘諸兄)を祖とする。

諸兄の母県犬養三千代は、後に藤原不比等の妻となる。 橘氏長者を是定といい、藤原氏摂関家が、これを兼ねた。

寛政重修諸家譜では、石田三成を捕縛した田中吉政・医師の山脇玄心等の家が橘氏に分類されている。

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位については、こうです。

源平藤橘の四姓の人物は正六位上として生まれるので、初めて位を給わる時は従五位下になります。これを「叙勲」といいます。正一位は神の位です。〔戦国時代の天皇と公家衆たち 神田由理〕

それで、吉政公の名前は、「兵部大輔従四位下田中橘朝臣吉政」となります。

橘義清という公家を祖とするようです。

ずーと、不思議に思っていたことがありました。

吉政公のお母さんと嫁が何でわざわざ宮部継潤の養子になって嫁に来なければいけなかったか?

それと、何故、娘が大外記押小路中原家の公家に嫁に行けたか?

その後の子供達も、宮廷に仕えて行けたか?

それは、吉政公が橘と言う公家の末裔であったからだと。

その時代、お家は少し衰退していたかもしれませんが、お母さんが国友から嫁に来る時も、身分を上げて家階級を合わせないといけなかった。

嫁も同じ。

そうすると、豊臣秀吉も、押小路中原師廉などの公家との、王室との繋がりが欲しかったに違いない。

師廉の日記に、信長公の名前が頻繁に出てきます。

当時はまだ、吉政も若くてまだ、出世もしていません。その頃にはもう、娘が師廉に嫁に行っています。

関白宣旨などの書状から見て、ほとんど押小路中原師廉の名前があります。

徳川家康の時は、今度はその息子の師生の名前があります。

これでやっとわかりました。

橘氏という公家の位だったので、国友からの嫁入りには、やはり位を上げてではないとつりあわなかった。

娘も、普通に大外記中原師廉〔押小路家〕に嫁に行けた。

孫たちも、宮廷に女官として仕えることができた。

あーーー、すっきりしました。

えぇーー?

ラムちゃん〔おうち組〕もびっくり!

先日のお天気の日のお散歩。

遠くに行かないうちに、さっさとおうちに帰りました。

ラム

でもね、すっきりはしたけど、これって、世間は知ってますか??

知らないよね..。

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最終更新日 : 2016-04-27

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