猫好き陶芸作家のカフェ絵咲木へいらっしゃいませ・・・



   
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山口 久美子

Author:山口 久美子
陶工房 カフェ ギャラリー 絵咲木

猫好きな店主の,ほのぼの毎日。

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福岡県八女市本町65
tel 0943ー22ー2634
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はちくんとさくくん。二匹ではっさく。

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アメリカンショートヘアーのみかん、看板猫10歳♀。長女のお嫁入りでお引越し。

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かぼす♂ 2014.5月1日から天使猫修行中

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H23.5/26お空の住人に 茶太郎♂永遠の15歳

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狩が得意で気ままなコルト♀10歳(自宅組)

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小さな甘えん坊のココア♀17歳で天使猫修行中



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柳川市寺めぐり

   
柳川市の、筑後国主田中吉政公のゆかりのお寺をめぐって来ました。

大きな駐車場に止めて、てくてく。

柳川城の跡地を通過。

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一ヶ月くらいの間、設置かしら、一夜城。

柳川は、堀がめぐっているので、橋もいい雰囲気。

檀平橋です。

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昔、橋がなかった時代に料金を取って通していたそうです。

檀さんと平井さんの持ち物で、檀平橋〔だんひらばし〕だそうです。

そして、着きました、真勝寺です。

福岡県柳川市新町5-10

寺の説明は、

田中吉政は関ヶ原の役で石田三成を捕らえ、その功績により翌年の慶長6年(1601)に筑後藩32万5千石を領し、柳川城を居城として、有明海、矢部川、筑後川沿岸の開発、それにともなう治水、 利水工事、柳川城の修築、.整備による大城郭建設、久留米、福島城の修造、柳川 久留米街道(田中道)、.柳川・福島・黒木を結ぶ黒木街道の新設など、.多くの業績 を残しています。パルトロメヨの洗礼名を持つキリシタン大名でもあり,領内のキリスト教徒が迫害はくがいされたとき保護したという。慶長14年(1609)2月18日に京都伏見に62歳で客死する。.別に墓は京都黒谷の西翁寺にもある。「真勝寺は往古は真教寺という。.文禄年間(1592~96)、宗茂の命により、.御井郡仁王丸村(今の久留米市北野町仁王丸)から大屋小路(今の柳川市一新町)の所に移され、.その後田中吉政の菩提所としてこの地に移し、吉政の遺骨葬送ありて本堂の下に埋葬まいそうする」とある。真勝寺本堂下にある吉政の墓石は高さ約1メートル、幅約70センチの四角柱で、先端がややとがっています。上から見ると十字架の形。墓石の真上に本尊の阿弥陀如来像を安置した本堂があって、.本堂自体が吉政の墓となっていると言います。吉政の位牌いはいは「前筑洲太守従四位下桐厳道越大居士神儀」裏に「慶長16年歳次辛亥2月18日」とある。.吉政の位牌は柳川市内の報恩寺・順光寺・玉樹院・光樹寺にも安置してあります。.銘は多少相違がありますが道越は皆同じです。.大正6年(1917)、本堂を取り崩し、大正8(1919)2月14日に御堂の落成式を挙行しました。.真勝寺の什蔵に田中吉政肖像・「五百本之内田中民部少輔」の銘のある槍・田中筑後守宛の端午の祝儀 に付ての将軍豊臣秀頼ひでよりの内書(内密の書状)・徳川家康の関ヶ原の役に際しての「召しぶみ」の書状・宗茂寄進の朝鮮分捕品香炉・陣太鼓がある。.往時に本寺の境内に脇寺の5ヶ寺があり、有事の際の町の東南部の防衛に備えていた。.いずれも真勝寺と同じく真宗大谷派である。正応寺・光善寺・浄勝寺の3寺は明治維新後も境内に留まり、独立の寺となる。

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この寺全体が、田中吉政公のお墓です。

墓石は、本道の下にあります。

それから、西方寺です。

柳川市恵美須町27−2

寺の説明は

田中吉政が柳川を領すると本寺をもって菩提寺とする。.吉政が逝去の際に住職が死して、その後継が2歳のために本山より僧を呼ぶが酒浸りで勤まらず、よき機会を逃がす。.時に藩命により本寺を東派に改宗させようとしたが、慶了住職の未亡人が頑として聞入れず、1000日間青竹閉門に処する。家臣は寺院を焼こうとしたが、吉政の叔母慶福院は驚き家臣を説得させ大事に至らず。.慶了の妻千鶴子は前柳川城主の蒲地鎮並の孫であり、嫁入りに持参した三条小鍛冶宗近作の薙刀が寺宝としてあったと伝わる。

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最後に、三川山光樹寺。

柳川市鍛冶屋町20

説明文を見ると、

往時は三河国幡頭郡西尾にあり。見蓮社英誉上人を開山とする。.田中吉政公が岡崎在城の時に、その菩提寺であった。吉政公が筑後に封じられ柳川城主となる。.慶長7年8月に、その寺の僧、尊誉を柳川に招き寺を移させ、本尊の阿弥陀如来立像を奉持ほうじし、寺田与左衛門、北島孫兵衛、安心院善左衛門の3人を伴い、この地に寺を創建し尊誉を開山とする。.三川山・光樹寺という。この如来像は行基の作といわれ、吉政の念持仏であった。.高さ94.3cmで1本の木で刻んだ像である。吉政公が頭痛の時もこの如来に祈り良く治ったという。.第5代説誉の時に恵心僧都の作の阿弥陀三尊を久留米より奉納し、これを本尊とし、.三河から持ってきた阿弥陀如来立像を内仏とする。元禄年間に本堂を再建する。享保12年1月の大火事で類焼したが2年を経て再建する。.寺地は以前3反2畝あったが享保年間の焼失後、.6畝を東隣の良清寺に編入される。村誌に寺地東西20間3尺6寸、南北19間1尺2寸、面積486坪とある。三河から同行した北島ほか2氏は今なお檀家として続いている。.寺宝は25菩薩来迎仏の絵像、涅槃図、英誉上人(開山)像、雨宝童子図、銅鍛製の鏧子けいすなどがある。 

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なんだか、現代建築のお寺の建物のようですが、門は古くて趣がありますね。

歩いてめぐりましたが、お雛様祭りの最中で、西方寺さんでは、お茶の接待を受けました。

女一人旅、よい一日でした。



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