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絵咲木陶器と猫とカフェ日記 そして田中吉政の歴史

猫好き陶芸作家のカフェ絵咲木へいらっしゃいませ・・・

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2016-02-13 (Sat)  13:27

田中吉政家系図

2月14日から、おひな祭りが始まります。

お店も、お雛様たちを飾りました。

中村家の、箱雛様。

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絵咲木のお雛様、今年は三人官女まで並んでいただきました。

それに、一抹人形の桃ちゃん。

娘のお宮参りの着物を着せましたよ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近は、筑後地区の歴史にどっぷり浸かっている絵咲木ですが、今日は田中家の系図を少し。

このようではないかと、考えます。


田中吉政--吉次、長男〔母は正室国友氏女〕--民部吉勝--政信--政之--信之--元陳・・・
                                   政信1682年頃甲府宰相綱重の江戸の桜田の館に出仕していたであろう

      --吉信、次男、久留米城主             
      --吉興、三男、福島城主、後に田主丸居館主--元官--定格--定堅--定員--定安--・・・・
      --忠政、四男二代筑後国主〔母は側室妙寿院〕
      --庸政〔母は山田氏女妾腹にて京都で家老の澤田某が扶助した〕--栄政・・・・
      --主馬〔嫡子 吉政の弟清政の子、吉政甥 田中三郎左衛門家祖〕 
      --女子〔中原師廉室〕
      --女子〔磯野伯老の子代膳一成妻〕
      --女子〔草野熊之助勝純妻〕
      -女子〔宮川佐渡守妻〕 

なかなか謎の多い田中家ですが、それだから、調べれば調べるほど面白く、人間模様が浮かび上がってきます。

長男の吉次は、国主の後を継いではいませんが、吉政より一足早く筑後入りして、たくさん働いたあと、京都でちゃんと子孫を残し、その子や孫たちは甲府宰相などに仕え、りっぱに働いています。〔誰じゃい、筑後に入らぬまま野たれ死んだ説をとなえたのは?〕

最近、調べた本は、稿本八女郡史、筑後志、当代記、筑後河北誌、・・・・

どうしても、徳川幕府が出した書き物を編纂したものが、田中家をよく書いていない気がします。

筑後の郷土史から残されたものは、そうでもなく、没年が、お寺や、お位牌に書かれたものが同じだったりします。

徳川幕府は、何を書き直し、何を隠したかったのか・・・そこが、私の思いを駆り立てます。

よその豊臣秀吉、秀次のことを書いた茶々さんのブログ今日は何の日徒然日記と、 滋賀県近江八幡市から日本国のリフォーム ブログで言うDay で、同じことを書いてありました。

徳川幕府の目に留まらない、個人の日記などに、真実が隠れている場合が多いみたいです。

何か、納得の記述が見つかれば嬉しいですけどね。

お雛様も、いよいよ日曜日から。

八女でお会いしましょう。

  
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最終更新日 : 2016-02-13

絵咲木さんへ!! * by 荒野鷹虎
おばんです!
今日は(猫の日)ですねー。
可愛い猫ちゃんを育てたり養子縁組を手助けしたりの猫愛情家の絵咲木さんには感服いたしております。
ほかに文芸座を儲けて地方文芸を守っています。!素敵な一族だと感動の行ったり来たりです。☆!

* by 絵咲木
荒野鷹虎さん
感動の行ったりきたり、ははは、ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします。

* by 宮城長次郎
検索していて辿り着きましてお邪魔致します。
私は但馬清富藩主宮城家を調べているのですが、
その宮城家の家老格に「田中五郎左衛門」という人物がいます。この人の情報が全然無く困っているところでした。
もしかすると田中吉勝の嫡子五郎左衛門政信と同一人物ではないかと思い、お尋ねした次第です。
田中吉次が寄寓した南禅寺は宮城家と非常に関係があり、
当時の住職は宮城家の方です。
政信も旗本に召出される前までは京都にいたようですし、宮城家には京・大津に屋敷があり家老格を置いていましたので、何か繋がりを感じます。
元禄二年没ですので、若いときに清富藩に仕官していたとしたら宮城側の資料とも年代的に整合性があるのです。
五郎左衛門政信について何かご存知のことがあれば、ぜひご教示頂けたら有難く存じます。

* by 絵咲木
宮城長次郎さん
はじめまして。
よく訪ねていただきました。
宮城豊嗣の宮城家ですか?

家老に田中の名前があるのですね?
確かに政信は1689年に亡くなったと言われていますね。
吉政の子供達は、散々な言われようで、どの軍記物や伝えられた逸話物語にも、おかしいことがいっぱいです。
私達は、それがおかしいと分かり始めたので、それを正して行く作業を続けています。

政信は甲府宰相綱重の江戸の桜田の屋敷に出仕していただろうと言われています。

少しお時間を頂けますか?

来週24日は東京25日は三川、近江八幡26日は高島に行って来ます。昨年から続いているもろもろ調べるための視察です。

よろしければ、非公開コメントで、メールか電話か、連絡先を教えていただけませんか?
こちらから聞きたいお話もあるかもしれません。
さしさわりがあるようでしたら、ブログにて、分かるだけのことをお知らせいたします。



* by 絵咲木
宮城長次郎さん
取り急ぎ、ご報告します。
寛政重修諸家譜による田中吉次の孫に政信 
                 初定吉 五郎左衛門
                 京師住
と、あります。清富藩があったのは1627年から1643年。

吉次が推定ですが1562年生まれで1617年没
それぞれが15歳で子供をもったとすると、
吉勝が推定ですが1579年生まれたとして
政信が推定ですが1594年生まれで元服で仕えたとすると、1627年時点で33歳くらい。
甲府の綱重の江戸城近くの1649年頃桜田の館に出仕していたであることを考えると、そうかもしれませんね。
改易後に江戸へ行ったのだとすれば納得できますね。
また、詳しく調べますね。


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宮城長次郎さん
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絵咲木さんへ!!

おばんです!
今日は(猫の日)ですねー。
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ほかに文芸座を儲けて地方文芸を守っています。!素敵な一族だと感動の行ったり来たりです。☆!
2016-02-22-18:52 * 荒野鷹虎 [ 編集 * 投稿 ]

荒野鷹虎さん
感動の行ったりきたり、ははは、ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします。
2016-02-23-11:57 * 絵咲木 [ 編集 * 投稿 ]

検索していて辿り着きましてお邪魔致します。
私は但馬清富藩主宮城家を調べているのですが、
その宮城家の家老格に「田中五郎左衛門」という人物がいます。この人の情報が全然無く困っているところでした。
もしかすると田中吉勝の嫡子五郎左衛門政信と同一人物ではないかと思い、お尋ねした次第です。
田中吉次が寄寓した南禅寺は宮城家と非常に関係があり、
当時の住職は宮城家の方です。
政信も旗本に召出される前までは京都にいたようですし、宮城家には京・大津に屋敷があり家老格を置いていましたので、何か繋がりを感じます。
元禄二年没ですので、若いときに清富藩に仕官していたとしたら宮城側の資料とも年代的に整合性があるのです。
五郎左衛門政信について何かご存知のことがあれば、ぜひご教示頂けたら有難く存じます。
2016-06-17-00:24 * 宮城長次郎 [ 編集 * 投稿 ]

宮城長次郎さん
はじめまして。
よく訪ねていただきました。
宮城豊嗣の宮城家ですか?

家老に田中の名前があるのですね?
確かに政信は1689年に亡くなったと言われていますね。
吉政の子供達は、散々な言われようで、どの軍記物や伝えられた逸話物語にも、おかしいことがいっぱいです。
私達は、それがおかしいと分かり始めたので、それを正して行く作業を続けています。

政信は甲府宰相綱重の江戸の桜田の屋敷に出仕していただろうと言われています。

少しお時間を頂けますか?

来週24日は東京25日は三川、近江八幡26日は高島に行って来ます。昨年から続いているもろもろ調べるための視察です。

よろしければ、非公開コメントで、メールか電話か、連絡先を教えていただけませんか?
こちらから聞きたいお話もあるかもしれません。
さしさわりがあるようでしたら、ブログにて、分かるだけのことをお知らせいたします。


2016-06-17-13:00 * 絵咲木 [ 編集 * 投稿 ]

宮城長次郎さん
取り急ぎ、ご報告します。
寛政重修諸家譜による田中吉次の孫に政信 
                 初定吉 五郎左衛門
                 京師住
と、あります。清富藩があったのは1627年から1643年。

吉次が推定ですが1562年生まれで1617年没
それぞれが15歳で子供をもったとすると、
吉勝が推定ですが1579年生まれたとして
政信が推定ですが1594年生まれで元服で仕えたとすると、1627年時点で33歳くらい。
甲府の綱重の江戸城近くの1649年頃桜田の館に出仕していたであることを考えると、そうかもしれませんね。
改易後に江戸へ行ったのだとすれば納得できますね。
また、詳しく調べますね。

2016-06-17-18:35 * 絵咲木 [ 編集 * 投稿 ]

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2016-06-18-00:52 * - [ 編集 * 投稿 ]

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2016-06-18-15:12 * 絵咲木 [ 編集 * 投稿 ]

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2018-08-21-16:46 * - [ 編集 * 投稿 ]