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絵咲木陶器と猫とカフェ日記 そして田中吉政の歴史

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2015-11-03 (Tue)  20:47

田中吉興の時代 田主丸居館跡

今日は、はちとさくを去勢の手術に連れて行きました。

早いものです。

ちょっと、剃られているので、早く生えてこないかな。

痛々しいけど、先生に、「いい子でした。」と、ほめて頂き、頑張りました。

お昼ねはっさく

田主丸に行きました。

「田中吉政とその時代」に、忠政の時代に、三男の吉興が30000石で分知され、田主丸に居館を構えた次期があったと書かれています。

「久留米市史」に、田主丸という地名は、大庄屋森田丹後と吉瀬冶部の発起人で、吉興の時代に起こったとされています。

冶部の抱え藪を開いて形成されたとしています。

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田主丸の駅の前辺り、村島という所がそうです。

駅の中に、「久留米観光コンベーション国際交流協会田主丸事務所」があって、所長さんと話が盛り上がりました。

近くに、巨瀬川、(ほら、以前、巨瀬かわの終点筑後川から運河計画があったことを書きました)あれが流れています。

吉興の後の時代に、大庄屋さんが町並みに自家用の運河を引き込んで、船で荷物を運んでいたとか。

巨瀬川、いい仕事をしています。

もし、あの運河計画が、実行されていたなら、ここの地方と、柳川まで、船で一本に結ばれたかもしれませんね。

それはそれ、なくても、そんな町並みマップが出来たら楽しいでしょうね。

田主丸、果物だけではなく、歴史もすばらしい。

あ、その三男の吉興公、吉政の時代は八女福島城を治めていましたよ。

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最終更新日 : 2015-11-04

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