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絵咲木陶器と猫とカフェ日記 そして田中吉政の歴史

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Top Page › 筑後国主田中吉政公 › 戦国時代の人間模様
2015-10-13 (Tue)  21:31

戦国時代の人間模様

田中吉政公のことを調べ始めて思ったこと。

それは、昔の軍記物が、今で言う小説のようなものであること。

ある程度は、歴史にそって書かれてはいますが、いろんなことを組み合わせたり、着色したりされていること。

名古屋21

それを、気付かずに、郷土の歴史家がそっくり信用して、真実の歴史として書き上げたことに誤解が生まれたということ。

柳川城図

特に、最近は、ネットが簡単に検索できて、本当のことを書くページに当たればいいのですが、逸話や、その間違ったページに行き着けば、間違った伝言ゲームが始まってしまうということ。

歴史が好きな皆さん、どうか、もっと深く知って、信頼ある人の情報を取り入れ、歴史を楽しんで下さい。

400年前であろうと、同じ人間。

信頼ある人の資料を見せてもらうと、ああ、ここはつじつまが合わない、年代が合わない。

毒殺されたと言っても、あれ、その後生きているじゃん……ってな具合。

自分の目を信じて、真実を読み解くことが出来たら、もっと面白くなると思います。

戦国時代は、人間力のすごい時代。

学ぶこともたくさん有ります。

田中吉政とその時代

吉政公に関しては、この、「田中吉政とその時代」田中建彦 田中充恵 が今一番のようです。

頭が下がるほど、よく熱心に調べられています。

そして、田中家跡継ぎ問題も、徳川と言う権力の元、見せられない歴史は封じ込められたことが少しずつ見えてきました。

サスペンスを解いていくような感じです。

この本を見てみると、吉政公は正室一人とされていましたが、どうも、忠政の母は側室のようです。

正室が亡くなった後、妙寿院が跡継ぎ問題で送った手紙が残っています。

そうそう、吉政公が亡くなった後、後家と妙寿院側室と、愛福院と知行割帳にあります。

愛福院というお妾さんがいたことも分かります。

なぜ、側室の忠政が跡継ぎとなったか?

長男の吉次に、すでに男の子が居た事実……。

もし、資料や文献を見て、自分だけが新しいことに気付いて発見をしたら、それはすごいことです。

新しい星を見つけるような……。

頑張ってみませんか?


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最終更新日 : 2015-10-13

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