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絵咲木陶器と猫とカフェ日記 そして田中吉政の歴史

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2015-09-03 (Thu)  19:52

八女福島城について

今日は、物産館前に建てられている「八女福島の町並み」のマップを写して来ました。

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1587年に豊臣秀吉の九州出兵で、旧領肥前3郡を没収された筑紫広門は、同年6月、改めて筑後国上妻郡53か村1万8000石を与えられ、上妻郡立花町大字北山山下(現在の八女市立花町北山山下)の山下城を居城としました。

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山下城は、矢部川と白木川が合流する南岸の地にある標高105メートルの山城で狭く、領内でも南に片寄っていました。

それで、上妻郡の中央部に支配の拠点を移すことにして、平城の福島城を築城しました。

当初の本丸の規模は、東西68.4メートル、南北576メートルの南向きの平城でした。

関ヶ原の戦いで筑紫広門は西軍に属して破れ改易され城を明け渡しました。

1601年3月、筑後国主として柳川城に入部した田中吉政は、上妻郡地方の支配拠点として、福島城の拡張をおこなったのです。

本丸、二の丸を東西に並べ、その周りには第一堀、その外側に侍屋敷、さらにその外堀に町屋を配置。

それぞれに堀をめぐらせ、三重の堀を持つ総郭型構造の城郭でした。

これで城の規模は、東西1.1キロメートル、南北750メートルとなり、城代として吉政の三男康政を配置しました。

securedownload2福島城1 桜の頃に撮った福島城本丸跡

城の建設に当たり、寺院を移転させたり酒井田村の無量寿院を城下に移築しました。

1615年の一国一城令で廃城となりましたが、城下町は在郷町として発展し続けました。

町全体が、堀に守られた、大きなお城だったのですね。

いや~、深いです。

ちなみに、絵咲木のお店は、右の方に西勝寺さんがありますが、その右下あたりでしょうか。

さっき、観光課に頼んでおいた名詞を受け取りに行ってきた時の話し……。

カウンターでお話のお客さんが、黒田長政の顕彰会のような会に入ってあり、そのことをお話しておられました。

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それで、失礼して後ろ向きに聞いていると、長政公が福岡県を作り上げたりっばなお殿様だというお話。

振り返り、対応していた職員が同級生だったので、つい口を挟み……。

田中吉政と、黒田長政は仲がよかったので、参勤交代の道も、筑前に入っての、現在の大野城市の「田中道」を作ったりしたのですよ~と。

お客さん 「ほう…。」

絵咲木 「福岡県の上半分は筑前の国。下半分は筑後の国ですよ~。二人で協力していたんですよ~。」

お客さん 「ほぅ…。」

福岡県は全部筑前の国だと思っておられた様子でした。

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最終更新日 : 2015-09-04

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