FC2ブログ

絵咲木陶器と猫とカフェ日記 そして田中吉政の歴史

猫好き陶芸作家のカフェ絵咲木へいらっしゃいませ・・・

Top Page › 筑後国主田中吉政公 › 筑後国城島城の話
2015-11-08 (Sun)  14:27

筑後国城島城の話

筑後国城島城の話。

調べていくと、いろんな難問に突き当たります。

11535788_837989382951224_4090354107650588676_n.jpg

城島城跡。

筑後に入部した田中吉政は家臣の宮川讃岐を置きました。

11010573_837989392951223_6255044789832803630_n.jpg

桜の時期ははとてもきれいだそうです。

549370_837989416284554_9218523576175853687_n.jpg

ここは町の中ではなく、筑後川に近い場所にあります。

筑後国城島城の話…。

「城島むかし」「田中興廃記」などは、こうか書かれています。

田中忠政が大阪夏の陣に遅れたのは、城主の宮川大炊が、他の武将と喧嘩になり、忠政に刀を抜いて成敗された事件が起こったからだと。

宮川一族が城に立て篭もり息子の15歳の小一郎が城兵を助けるために切腹して、城落したと書かれていています。

城島には、城島城跡に小一郎を祀る天満宮が確かにあります。

でも、まず、大炊の息子は、丹後と言いますが、重い役所のまま務め上げます。

成敗された父を持つ一族は、それは無理だと思います。

そして、落城と言うと、「八院の戦い」と言って関ヶ原前の戦の話があります。

九州平定前の話で、城島城も激戦地でした。

小一郎の命日は、旧の11月。

夏の陣は夏だし、西牟田氏の落城は、命日と同じ月。

田中忠政の時代に宮川一族が立てこもり、落城した話はごちゃ混ぜです。

こう考えると、大阪夏の陣の遅れた話は、なかったのかもしれません。

時代の違うあちこちの話を組み合わせたお話は、歴史として、考えてはいけないです。

この昔の読み物を参考に書かれた町の市史はとても多いです。

早く直して欲しいです。

次期を待たねばしかたありません。


スポンサーサイト



最終更新日 : 2015-11-08

Comment







管理者にだけ表示を許可