FC2ブログ

絵咲木陶器と猫とカフェ日記 そして田中吉政の歴史

猫好き陶芸作家のカフェ絵咲木へいらっしゃいませ・・・

Top Page › 歴史 › 則政公に思いをはせる
2015-06-19 (Fri)  20:07

則政公に思いをはせる

田中吉政公の次男則政(吉信)ゆかりの、柳川市の宋安寺改め玉樹院と久留米市北野町の西方寺に行って来ました。

玉樹院2


1554557_836993486384147_1230658695221931439_n.jpg 

次男則政は、久留米城主で、なぜか悪い書かれ方をして亡くなっています。

亡くなったあとに玉樹院に葬られ、敷地内に乳母がお堂を建て尼さんになり守っていたり、家来がその死を悼んで殉死していたり、次の藩主の時代になり柳川ではお参りもかなうまいと、北野町の西芳寺を則政のために建てて、遺骨を移したと言いますから、そんな粗暴な君主ではなかった気がします。

西方寺では、上龍家という大庄屋さんが、寺がもし何かで無くなっても末代守っていこうと、寺の墓所の土地をを買い取り覚書を立てたのでした。

10418866_836993476384148_8677671159741652443_n.jpg 

その長い時の流れの中、そのことが忘れられ、上龍家の墓地として使われ則政の墓は違う人の墓として立て札まで立てられていたと聞くと、なんて悲運の則政公かと涙が出てきました。

そのことがわかって15年の月日がかかり、その立て札もようやく外され、やっと田中家のものとして、平成22年「田中則政公没後400年追善法要」を挙行しました。

田中さんたちは、今度は、「これは則政公のお墓」だと、これから先間違いが起こらないように書いて立てたいとお考えです。

則政公の墓前で、その乳母さんが、尼さんになって、そばに守っていた…、そして、現在まるで上龍家墓地の様に使われていて、切なくて仕方がありません。

どうか、上龍家の子孫の方、ご先祖の純粋な心を思って、ご尽力をお願いしたいです。


スポンサーサイト



最終更新日 : 2015-08-08

Comment







管理者にだけ表示を許可