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絵咲木陶器と猫とカフェ日記 そして田中吉政の歴史

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2015-02-28 (Sat)  18:21

顕彰会公演を終わって

さぁ、いよいよ文平座での公演が近づいてまいりました。

衣装も作り終わってはいますが、文平座での舞台の背景などの作成に入りました。

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かつらのメンテナンスや……、新たに金屏風を作るのでその紙の注文。

案外安かったです。

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筑後国ってどこ?

って思う人もいるでしょう。

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福岡県の下半分って言ったらよいでしょうか。


ここからは、絵咲木が読む語りの一部を紹介しましょう。

初代筑後国主田中吉政。
戦国の世を駆け抜けた武将であり、織田信長、太閤秀吉に仕え、徳川家康の世になって、35万5千石の大名として、筑後国主となりました。
それから、4百年を経た今、田中吉正公の名を知る人はあまりにも少ないといえるでしょう。
何故でしょうか?20年という治世の短さなのか、吉政公亡き後、筑後の国が久留米藩と柳川藩の二つに分割されたからなのでしょうか。
もしかすると、吉政公が置かれた立場がそうさせたのかもしれません。
吉政公は琵琶湖の東側虎姫村に天文17年、1548年に生まれています。
子供の頃の名は久兵衛。18歳で宮部継潤の若党となった久兵衛は、すぐにその力を認められ、秀吉の直属の家臣となり、やがて関白秀次の筆頭家老となります。
家康が江戸へ移ったとき、家康が居城とした岡崎の城下を預かり、さまざまな河川開鑿や城の造営を行いました。
秀吉亡き後の関が原の合戦では、家康の東軍に参加し、幼い頃から親しかった石田三成を捕らえその功績を認められています。

関が原の一年後、吉政公は、初代筑後国主になったのです。
では、吉政公が駆け抜けた時代が、どんなものだったのか、ほんの少しだけ、ご覧いただきましょう。

どうでしょう?
わくわくしませんか?

先日の、顕彰会の時に、皆さんがほろりと涙をこぼされたところが、
ひとつは石田三成とのやりとり。
ほかの誰かに捕らえられたら、彼がどんな目に合うかかわからないとの思いで、自分の手で捕らえ……ってところ。
文平さんの迫真の演技に、お年寄りの方も真剣に劇に入り込まれていました。

田中吉正公の、人となり、心情を、まるで降りてこられた?って感じで演じきられました。

さ、文平座のホームグランドに戻っての公演。

お楽しみに。

それから、今回は、ちょっと込み合いそうな予感。

どうか、日にち指定の予約をされてのチケット購入をお願いします。

そうしないと、お座敷ですので座席指定はありませんが、当日は入れない場合もあるようです。

宜しくお願いします。


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最終更新日 : 2015-02-28

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