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田中吉政公御命日法要

田中吉政公は、二月十八日が御命日です。

田中吉政顕彰会の総会と法要を日曜の十七日に、柳川真勝寺にて行われました。

その催事、奉納で、文平座がお芝居をしました。

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今年で五回目になります。

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お馴染みのメンバーと、新しく加わってくれた役者さんたちで楽しくやれました。

私、語りで出て来て読んでますが、携帯にぎったまま…。


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今回からの米里君、メークのお手伝い。

心強いです。

末永く、お付き合い宜しくです。

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終わった後の打ち上げも、話が止まらない。


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今年の五回目の始まり…、そう、この演目で五月もやることになります。

今回は、吉政公の三男吉興と、京都の豪商角倉了以のお話です。

運河で繋がる、男の夢です。

さて、来週は、文平さんが、長浜ものがたり大賞に奨励賞受賞を頂いたので、滋賀県の長浜市に行って来ます。

さっそく、地元の歴史で繋がった方々とお会いすることになりました。

楽しみです。

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慶長本土居は、筑後国の要塞

田中吉政公の土居、慶長本土居と、外曲輪土居、汐留土居と、場所場所で違う名前で書かれています。

慶長本土居地図

だから、分かりにくかったので、城の堀以外に、土居と運河等の土居を描き込んでみた。

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半田先生が考えておられるように、一つのものなら、なんと、すごいこと。

国を取り巻く御土居、一石二鳥、いや、三鳥の壮大な城壁です。

幅約三メートル高さ約二メートル。

立花宗茂が、帰ってきた時は、さぞ、驚いたでしょうね。

慶長本土居みやま市最終地点

慶長本土居の続きです。


今日は、みやま市の最終地点。

大川の酒見から出発した慶長本土居のみやま地区は、江浦小学校の右を通り、江浦駅の踏み切りを渡り、綿津見神社、高田漁協、楠田川の橋を渡り左岸に沿って進み、四十丁、五十丁の集落をクリーク沿いの道を進み、開小学校の左をまっすぐ進むと隈川の左岸につながります。


この川を途中で渡って川沿いに東に進むと、この場所、大牟田倉吉とみやま市渡瀬の境界地点、国道208号の干渡橋の袂が、終着点です。


慶長本土居最終地点


「田中吉政・忠政とその時代」の著者半田隆夫先生は、「慶長本土居の築堤政策は、有明海沿岸の干潟の新田開発によって領土を拡大し、年貢収入を増加させ、藩財政を豊かにすることが考えられます。


しかし、関ケ原の戦い後に、筑後を舞台に展開された八院の戦いなど、いつ、再び領土争いが起こってもおかしくない世相でしたので、有明海からの海上攻撃の防衛上、本土居を築堤したものと思われます」と、述べています。




みやま市の慶長本土居と江浦城

筑後国江浦城のそばを、慶長本土居が通っています。

「福岡県の中近世城舘跡筑後地域.総括編」の昭和23年当時の江浦城周辺航空写真を見ると、どれに当たるのだろう。


半田先生の慶長本土居コースを見ると…、淀姫神社の下を通り、国道208号を横切って江浦町を弓形に曲がって再び国道208号を横切り、江浦小学校前の道に繋がると書いてあります。


江浦⒊

その淀姫神社の前から右に曲がるのは、どこだろう?

悩みます。


江浦


神社の右が本丸跡らしいので、これってここの慶長本土居は、城の周りの防御の御土居の役目もしていたのでしょうか?


江浦2


今は、まだ、検討を始めたばかりなので、断言はできませんが、田中吉政公は、筑後国の支城全体を考えて城の配置と城の防御の土居を作った?

それも、干拓を見込んだ場所も考えながら…。

凄いことですね。