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柳川 福永山順光寺  


資料によると、

「宮川丹後少将惟康は剃髪して僧となり、近江国坂田郡の順教寺の住職となり名を福永祐念と称す。

田中吉政はこれを尊敬し帰依する所あり。

吉政の筑後に移封されるや祐念は慶長年間に同所信徒の北川、伊藤、園田、井出などの30人を引率して柳川に来る。.

吉政は大いに喜び一寺を坂本小路に開き祐念を開山とする。

宗茂公再封後に今の順光寺小路に移り、寺名を順光寺に変えました」

(順教寺は、元より順光寺のようです。ややこしくどこかで間違って伝わっているようですね)

寺の宝物に田中吉政の肖像があったそうです。

30人の同行者の子孫は今なおあり。.


また開祖の祐念は真勝寺の次男を養子となし、.家を譲り末女と久留米領のある地に隠居する。

後に久留米藩主に招かれて久留米順光寺の開山となる。享保18年3月2日の大火の為に類焼し宝物などを焼失する。. 

順光寺 柳川市曙町2


順光寺



その後に調べてみると、この近江国神坂村は、現在は上坂村となり、そこ一体は福永庄とよばれていとありましたが…、実は誤伝で新庄寺町の順光寺。

柳川の順光寺の伝えによれば、24家族を引き連れて筑後入りしてあり、その北川新十郎の子孫の橘さんが、寺の碑に書いてある文字を解読してサイトにあげてありましたが、少しだけ違っていました。

その先祖は近江の国(滋賀県)の人で有り、和田(にぎた)太郎左衛門尉橘正量(たちばなまさかず)と言う。


柳川順光寺碑


橘姓というのも気になりますが…。



吉政公と和尚さんの出会いがなければ、柳川の自分たちはないかも知れないと書いておられました。

檀家24家族も、吉政公を頼って、慕って、遠い筑後国に移り住んでくるとは、感動ものですよ。

そして、今なお、その子孫の人たちに受け継がれている…。

少し、違ってしまって伝えられてはいますが、驚きました。


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八女伝統工芸館にて工芸展

今、八女市の八女伝統工芸館で、伝統工芸展が開催されています。

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私も、参加しています。

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最初の一週間で、シンプルな招き猫が、アップする前に売れていたので、この新作の「福島福福猫」を持っていきました。


最近、お花模様に凝っています。

窯出しの時、並べていたら、ハチ君が、興味津々。

招き猫になりすましていますが…。

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会場に運んだらこんな感じ。

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絵咲木店内と違って明るいので、綺麗に見えますね。

このシリーズで、しばらく頑張りましょ。