Category [歴史 ] 記事一覧
徳川家康書状
ふるさと塾の仲間の玲子先生から、岡山で見たからって、画像を送って頂きました。さっそく検証です。関ケ原の戦の前哨戦、8月2日のことです。 (玉井宮東照宮蔵)つまり、小さいので…これを出した一日前にも、徳川家康から吉政宛てに出された書状があります。家康が、山岡景友に備前衆(忍者?)を添えて安濃津(現在の三重県津市)へ遣わすから船の手筈を整え渡海させるよう依頼したものです。船で、関ケ原近くへ向かうのでしょうか。...
田中吉政の顔の傷
東谷ズムというサイトに吉政の事が書いてありましたので、お借りしています。以下[秀次を補佐した田中吉政]「田中吉政」は一般には“関が原の戦いの後、石田三成を生け捕りにした武将”として知られてきましたが、近年はその“関が原の戦いの通説”自体も大幅に“崩壊”しそうで、目が離せない状況です。それはともかく、田中吉政は「高代寺日記」に頻出する人物であり、本稿でもしばしば触れています。彼の登場が多いのは、彼が摂津に入...
田中家後継ぎ問題
福知山城のホームページを、たまたま見たのですが、明智光秀が討たれ、その領地の一つだった福知山城でしたね。その後、いろんな人が城主になるのですが、寧々様の叔父の杉原家次が城主の時、病気で亡くなると、1587年小野木重次が入るまでの間、年表では2年間空欄ですが、田中吉政が入ります。中々、書き込んでいるものはないですけど。その後有馬豊氏。1621年からは岡部長盛。転勤ラッシュ。有馬さんは、ここから久留米城へ移封...
田中吉政ご命日法要2023
今日は、柳川市にある田中吉政菩提寺真勝寺さまで、顕彰会の総会、ご命日法要がありました。本当のご命日は、2月18日(旧暦だと、3月9日)ですが、この日に執り行われました。市橋先生ご夫妻も、お参り頂きました。法要の後、総会があり、その後に市橋先生の講演でした。岡崎城での功績、さすが先生、とても分かりやすくお勉強になりました。郷土史家の半田先生とも、近況、情報の交換、楽しくお話が出来ました。柳川市市長や、県会...
田中河内守吉久という名前
ちょっと、幸せ感がダウン気味なので、気を紛らわして、今日は、歴史のお話。何かに集中すれば、充電できます。ボーとしていると、うつうつしてしまいがち、いかんいかん。昨年は、田中吉政研究で、唐突に進んだのが、嫡男の吉次の消息でした。先日、柳川で柳川史料編纂委員会の講演に行った時に、九州大学院の中野先生に名刺を頂き、その後メールをしたのですが、残念ですがお返事がありません。その文章が、分かりやすいので、一...
最近のコメント