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絵咲木陶器と猫とカフェ日記 そして田中吉政の歴史

猫好き陶芸作家のカフェ絵咲木へいらっしゃいませ・・・

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2021-09-15 (Wed)

筑後国江之浦城、田中橋からの~

筑後国江之浦城、田中橋からの~

雨が上がったので、午前中、筑後国江之浦城跡、海岸線だった慶長本土居を巡って来ました。確かにあった田中橋。江之浦城は、岬に立っていて、この場所には、常夜灯があったのですね。岡崎の城内にも、吉政は大きな常夜灯を灯しました。田中の道標のあった三叉路、少林寺の西に、折れ曲がった道があります。これは、福島城下にもあり、福島城の場合は、そこから登城で、会所(城の受付の様な場所)に向かい城内に入ります。なので、...

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雨が上がったので、午前中、筑後国江之浦城跡、海岸線だった慶長本土居を巡って来ました。

確かにあった田中橋。


江之浦城は、岬に立っていて、この場所には、常夜灯があったのですね。

岡崎の城内にも、吉政は大きな常夜灯を灯しました。

田中橋

田中の道標のあった三叉路、少林寺の西に、折れ曲がった道があります。

これは、福島城下にもあり、福島城の場合は、そこから登城で、会所(城の受付の様な場所)に向かい城内に入ります。

なので、ここから北の方西側に本丸、東側に二の丸があったのですね。

田中橋6


田中橋2

淀姫神社は、田中の時代は、神事も無くひっそりしていたとの事なので、中までは入りませんでした。

現在の参道の入り口を本土居が横切り、後には街道となりました。↓

田中橋3

城下の西側からの眺め↓写真の左側が淀姫神社です。

田中橋4

今日は、矢部川を江浦側に渡った後、先に江浦本丸信号を過ぎてから江浦信号から左に曲がり、街道を田中橋まで行って引き返し、慶長本土居の跡の道を淀姫神社前を通り、そのまま慶長本土居を矢部川まで。

田中橋5

振り返って…、曲がり角。

農地の改良工事で、角ばってますが、少しカーブしていたでしょうね。

江之浦城は、岬にあった。

それはなんとなくわかりました。



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2021-09-14 (Tue)

「郷土江浦町」購入

「郷土江浦町」購入

平穏な休日が、戻って来ました。今年の「田中吉政展」は、これまでの年よりに比べると、数えていませんが、新聞記事の影響もあってか、後から後から湧いて出るくらいのお客様。換気を考え庭側の戸口を開けたり、感染対策でてんてこまいでした。筑後国歴史好き、田中家家臣の子孫、田中家の子孫、戦国好き、さまざまでしたが、私の説明を聞くにあたり、軍記物に毒されて「忠政を暗殺説を説かれ、こうでしょう?」とか、「徳川は田中...

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平穏な休日が、戻って来ました。

今年の「田中吉政展」は、これまでの年よりに比べると、数えていませんが、新聞記事の影響もあってか、後から後から湧いて出るくらいのお客様。

換気を考え庭側の戸口を開けたり、感染対策でてんてこまいでした。

筑後国歴史好き、田中家家臣の子孫、田中家の子孫、戦国好き、さまざまでしたが、私の説明を聞くにあたり、軍記物に毒されて「忠政を暗殺説を説かれ、こうでしょう?」とか、「徳川は田中を潰したかったんだよね」とか話され目が点に。

でも、そんな中、吉政ファンの方もたくさん居られました。

ホッとするやら嬉しいやら。

聞く耳持たない方、説明して欲しい方様々。

最近は、コロナでお店のお客様もまばらで、運動不足の足が腰がで、毎日ボロボロで倒れ込むように眠る日々(言い過ぎ)で、終わってホッとしています。

おいでになった方々、お友達、有り難うございました。また、お店で、ネットでお会いしましょう。^_^

八君も朔君も、ホッとしています。

慶長本土居江浦3

期間中に、合間をぬって江浦城跡の事を調べていました。

そして、これを古本の通販で購入しました。

「郷土江浦町」

新品のようです。

慶長本土居江浦2

江浦城は、元々岬に建っていたようです。

ピンクの線が干拓の為に作った慶長本土居です。

潮が引いた時に一気に作って、その後に埋め立て工事をしました。

慶長本土居江浦

問題は、吉政の子の田中主水忠正が城番で入り久留米城に、次に田中河内守吉久さんが入り、慶長18年に没って年表に書いてあった…え?

子の忠正は忠政?江戸にずーといた筈ですが、そして、久留米城主ではなく筑後守になりましたが?

さてさて、暫く、その出処を調べてみます。

でも、城内の地域に残る田中の地名、田中橋、田中道標。


昨日朝、歯医者さんに行って、お店でお昼ご飯を食べて、メールチェックをして…、あら、通販の「田兵」第二部のご注文が入ってました。

通販第一号様です。

感謝いたします。

先ほど発送しました。



2021-09-11 (Sat)

田兵 第二部 夢幻の湖一発売開始

田兵 第二部 夢幻の湖一発売開始

今日、印刷所から届きました。「田兵」第二部 夢幻の湖一です。まず、第一部を読んでからの方が、その続きなので良いかも知れません。第一部は、初版なのでB5の大きめですが、この後は、手軽に読みやすいようにB6の単行本の大きさで(1100円税込み~)ご案内します。私の意見ですが、このブログを見てくれている人は分かると思いますが、最近出版された「田中家の三十二万五千石」という、田中吉政を書いたほんがあるのですが、こ...

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今日、印刷所から届きました。「田兵」第二部 夢幻の湖一です。

まず、第一部を読んでからの方が、その続きなので良いかも知れません。

第一部は、初版なのでB5の大きめですが、この後は、手軽に読みやすいようにB6の単行本の大きさで(1100円税込み~)ご案内します。

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私の意見ですが、このブログを見てくれている人は分かると思いますが、最近出版された「田中家の三十二万五千石」という、田中吉政を書いたほんがあるのですが、

これって末記に柳川本などの資料を沢山書き込んでいますが、本当に見たの?ってなります。

売れれば良いと思って小説を書くと、こうなるか?

腹黒く、嫌な奴、百姓からのし上がった?

田中吉政を好きで買った人たちから、困惑の声が出てます。

そして、そうでもなく、戦国好きの人は、ゲゲ、こんなに悪い奴だった?

研究本より、戦国記等を元に書かれたようです。

私たちは、残された日記や、手紙などの一級史料を見極めお芝居や小説を造り上げてきました。

いくら小説だとしても、

そのような小説が、いままで吉政を貶めて来たのに、さらに続けるのか?と思います。

澄んだ目で、見て下さい。

私を信じて下さいね。

明日一日で、田中吉政展が終わります。

思ったより、たくさんの人が毎日来館されています。

少し、ほっとします。

2021-09-10 (Fri)

田中吉政展2021年あと二日

田中吉政展2021年あと二日

江ノ浦城跡が、気になって仕方がないです。知り合いのブログからお借りした古地図。やっぱり、海岸際際にあったみたいですね。そりゃあ、慶長本土居の際際ですものね。四男の忠政は、ほぼ江戸だったので、本城柳川で家老職をしたり、ここ江ノ浦城にいたかもしれない吉次、(吉久)擦り合わせて、年表の充実を図ります。びっちり、殴り書き。さぁ、田中吉政展は、あと土日の2日間。新聞記事を見て、たくさんの方がおいでになっていま...

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江ノ浦城跡が、気になって仕方がないです。

知り合いのブログからお借りした古地図。

江浦古地図

やっぱり、海岸際際にあったみたいですね。

そりゃあ、慶長本土居の際際ですものね。

慶長本土居図

四男の忠政は、ほぼ江戸だったので、本城柳川で家老職をしたり、ここ江ノ浦城にいたかもしれない吉次、(吉久)


江之浦城

擦り合わせて、年表の充実を図ります。

びっちり、殴り書き。

エサキ年表

さぁ、田中吉政展は、あと土日の2日間。

新聞記事を見て、たくさんの方がおいでになっています。

江崎、少々疲れてきました。

だって、やっぱり、田中家の悪口を平然とおっしゃる方がおられて…、今日は、切れそうになり、反省しました。

どんな意見でも、神様のような気持ちで、とりあえず聞き、諭す!

そうなればよいですけど…。

自分が怒らず、聞き流すことも大事かな?

わざわざ会場に来て、変な小説や、2チャンネルに出るような、暗殺だの、そんな話は聞きたくありません。

どうか、明日は、清らかな心で居られますように。



2021-09-08 (Wed)

田中河内守吉久

田中河内守吉久

今年も、どうにかやっと「田中吉政時代展」今年から→「田中吉政展」にして開催しています。内容は、あまり進展していないのですが、新聞記事を見て、多くの方が来館して頂いています。初めての方も、来た方の口コミでとか、興味を持っていただいて嬉しいです。会場に居て、説明の合間に、また、ふと、いろんなヒントが出てきて、頭を整理するのがやっとです。それは、つまり、吉次の消息です。吉次が、初名とあった吉久を筑後でつ...

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今年も、どうにかやっと「田中吉政時代展」今年から→「田中吉政展」にして開催しています。

内容は、あまり進展していないのですが、新聞記事を見て、多くの方が来館して頂いています。

2021.jpg

初めての方も、来た方の口コミでとか、興味を持っていただいて嬉しいです。

20212.jpg

会場に居て、説明の合間に、また、ふと、いろんなヒントが出てきて、頭を整理するのがやっとです。

20214.jpg

それは、つまり、吉次の消息です。

20215.jpg

吉次が、初名とあった吉久を筑後でつかっているようなのです。

20216.jpg

それとか、田中河内守吉久とかです。

そうなると、筑後国江之浦城主になってきます。

吉信が亡くなり、江之浦城から氏次が久留米城に入り、河内守吉久が江之浦城へ。

慶長本土居の時に、さんざんそこ一帯を地図で見たのですが、一国一城の令まではそこに居て、他の家老職と一緒に動いていた可能性があります。

あとは、証拠探しです。

急に、パソコンでヒットしたのが、慶長15年、田中河内守吉久寄進したとある河桁御河辺神社
   【住所】滋賀県東近江市神田町 385です。

そこは、吉興がのちに拝領した地域ですが、どないなってんの?です。