猫好き陶芸作家のカフェ絵咲木へいらっしゃいませ・・・



   
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プロフィール

山口 久美子

Author:山口 久美子
陶工房 カフェ ギャラリー 絵咲木

猫好きな店主の,ほのぼの毎日。

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福岡県八女市本町65
tel 0943ー22ー2634
月曜店休日

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はちくんとさくくん。二匹ではっさく。

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アメリカンショートヘアーのみかん、看板猫8歳♀。長女のお嫁入りでお引越し。

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かぼす♂ 2014.5月1日から天使猫修行中

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H23.5/26お空の住人に 茶太郎♂永遠の15歳

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狩が得意で気ままなコルト♀8歳(自宅組)

200809200859001[1]

小さな甘えん坊のココア♀17歳(自宅組)


中村文平 苺畑の魔法使い  [オンデマンド (ペーパーバック)]

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「月のルルカと黒猫スプーン」

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高校の文芸部の先輩、中村文平さんの 児童書です。

ココから注文できます
          中村文平の本

絵本 やくそくどんぐり
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みかんちゃん

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秀吉を支えた武将 田中吉政

   
秀吉を支えた武将 田中吉政

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この本の2ページにこうある。

田中吉政ー秀吉の家臣
この武将のことを、我々はあまり知らない。
吉政は、近江八幡城主・豊臣秀次の宿老筆頭をつとめた。
不在がちな城主にかわって、近江八幡城や城下町は
この吉政によって建造されたと言えるかも知れない。
吉政は、小田原の陣の後、三河国岡崎城主となった。
尾張国清州城主となった秀次をたすけるとともに、
岡崎城下町の建設、矢作川の築堤普請に尽力した。
吉政は、関が原合戦で石田三成を捕らえた。
三成とは同郷で、昵懇で
だからこそ、追手となることを自ら望んだという。
吉政は、関が原合戦後、筑後国柳川城主となった。
柳川城と城下町の大改造を行い、
有明海沿岸の築堤は、その干拓事業の端緒となった。
小身から三十二万石余の太守に成り上がり、
多くの城郭建築と、土木工事を手掛けた彼の一生は、
地域にとっては重要で、最も喧伝されて然るべきであろう。
秀吉による日本改造の計画として有名な、
太閤検地・兵農分離・刀狩りなどは、
彼のような能吏に支えられてこそ、初めて成功した。
日本近世への扉を開いた人物の一人、
その吉政の経歴と政策の全貌が、
この一冊によって、初めて明らかになった。
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田中吉政公観劇会無事終了しました

   
2月12日、勝島での三年目の観劇会、無事終了しました。

田中吉政公顕彰会の皆さんは、柳川真勝寺に行っておられました。

本堂の床の下にある吉政公のお墓にお参り。

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その間、私達は、お着替え。

奥方様に変身。

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今回は、あまりトチルことなく〔笑〕やり遂げました。

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お手伝い頂いた、顕彰会の方々、西方寺関係者様、有難うございました。

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八女市に戻り、初めての打ち上げ。

和やかに過ごせました。

ありがたいご縁に、感謝です。

さて、次は、五月の時代展。

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筑後国主田中吉政顕彰会観劇会

   
筑後国主田中吉政顕彰会のご要望で、吉政公の命日に近い2月12日、お芝居をさせて頂きます。

この回で、3年目になり、吉政公の勇姿と、子供達の知られざる姿を中村文平による書き下ろしシナリオでお届けします。

昨年は、城や堀の工事時の話や有明湾側の干拓事業「慶長本土居」の話です。

その中にある、後継問題、親子の葛藤が心を震わせる物語でした。

さて、今回は、次男の久留米城主則政のお話。菩提寺西方寺の建立の物語を中心に、話は進みます。

長い間閉じられていた歴史の扉が、開こうとしています。

ご期待下さい。


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ご希望があれば、顕彰会員以外でもご覧頂けます。

会場の人数制限はありますが、無料ですので、お問い合わせ下さい。

会場は、昨年と同様、柳川市の勝島です。

11時からの予定です。

宜しくお願いします。
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ランヴィエール勝島
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〒832-0033 柳川市南長柄町22

西鉄柳川駅出口2出口から徒歩約16分

矢加部駅出口から徒歩約19分

徳益駅出口から徒歩約28分

電話番号0944-73-9181 .
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寒いにゃん

   
各地で大雪などの冷え込みが続いています。

八女は、ここんところの寒波のピークは過ぎたよう。

昼間は、お日様が出ています。

ぼちぼち陶芸教室を続けています。

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年末に、カレンダーや手帳が半額になっていたので、正月から予定を書き込んでいます。

二月が、すごく忙しいみたいですよ。

恒例になった田中吉政公顕彰会の観劇のためのお稽古も、熱が入って来ました。

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お店は、土間が広くて、冷えが辛い毎日。

猫達も、コタツやホットカーペットのお昼寝はかかせません。

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ハチ君の写真ばかりになってしまいますが、気がつけばそばに居るので。

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サク君は、先日から、おしっこが出にくくなって、いつもの病院で点滴を打ってきました。

元気で、やんちゃなサク君ですが、こんなときは、やっぱりじっとして出て来ないのでかわいそう。

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お薬も飲んで、今日はまた二匹で、追いかけっこができているようです。

ひとまず、ほっとしましたが、しばらく要注意です。


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traveljpというサイト

   
traveljpというサイトが、とてもよく書かれているので、そのまま写させてもらいました。


ライターさん、すごく勉強されていますね。

福岡県柳川市。縦横無尽に走る掘割をどんこ船で進む川下りで有名です。また、柳川藩は九州きっての名将・立花宗茂を藩祖とすることでも知られ、明治維新まで柳川を治めた立花家を別邸の御花などで偲ぶことができます。

柳川藩の中心であり、立花家の本拠であった柳川には無論、城がありました。屈指の堅城でしたが、現在は街に埋没してしまっています。そこで、今回は名城・柳川城の痕跡を探してみることにしてみましょう。

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写真:小谷 結城

柳川城は本丸と二の丸を内堀で囲み、本丸の南に三の丸、西に西三の丸、北に北三の丸を設け、これをさらに中堀で囲んでいます。この外側は城内。城内をさらに外堀で囲み、この外にある城下をさらに2つの川で挟んで間を運河で繋げることによって囲んでいます。すなわち、柳川城は4重の堀に囲まれていました。

また、背後は有明海。有明海の干満差は4メートルともいわれ、潮の流れが激しく、川から一気に海に出てしまうこともできました。攻めにくく、守りやすいのです。この城を改修・整備して現在の縄張にしたのは、奇跡の所領復帰を果たした宗茂ではなく、その間の柳川を統治した田中吉政でした。

吉政は武将でありながら複数の都市の町割も行った、いわば“まちづくりの名手”でした。彼は水辺や川を活かした城づくり、まちづくりをよく行っており、柳川はまさに彼の集大成ともいえる作品だったのです。

写真は2つの川を結んだ運河です。柳川橋が架かり、三柱神社が隣接する掘割のことです。柳川は掘割が丸ごと残されたおかげで水堀にあたる掘割もほとんどが残りました。この点は、構造物がほぼ消えてしまった柳川城にとって不幸中の幸いだったと言えるでしょう。

柳川城防衛の鍵!「柳川城堀水門」

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写真:小谷 結城

運河を南に下ると、柳川城堀水門があります。水は北を流れる川から取水して、ここより外堀、中堀、内堀に水を引き入れています。この水門が城内に入る唯一の水門で、有事の際はこの水門を閉め、川の上流の堤防を切り崩して水を流すと、城内、柳河(城下の町場)、宮永(城の南)を残して周辺は水びたしとなり、全く島のような状態になるのです。

水びたしになれば、柳川は元々、低湿地帯。周囲に残る湿地では足を取られ行軍が困難となり、張りめぐらされた大小の掘割は、誤って落ちると溺死してしまう攻撃的な防御施設に変身します。まさに、水を操って城を守る柳川城防衛の鍵がこの水門だったのです。

風情ある中堀


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写真:小谷 結城

本丸と二の丸を囲む三の丸、西三の丸、北三の丸。これら3つの曲輪を囲んでいたのが中堀でした。黒門橋の架かる東側は直線ですが、その他3方は折れが見られ、防衛機能を高める意図が感じられます。これは西側に本丸があったからでしょう。

写真は中堀の西三の丸側で、堀の奥が西三の丸、手前が城内(捨曲輪)です。捨曲輪とは西の沖端川から侵攻する敵を迎え討つ場のことです。この堀に沿った遊歩道は詩人・北原白秋が学生時代に通学路にしていたことから「白秋道路」と呼ばれています。堀が屈曲していることで風景に変化があり、どんこ船の往来も楽しめます。

なお、天守閣のあった本丸は柳城中学校、御殿のあった二の丸は柳川高校。わずかながら柳川城の石垣も見られます。


最後は運河沿いの三柱神社です。初代藩主・宗茂、その父で初代当主・道雪、妻の誾千代の3柱を祀ることからこの名があります。天明3(1783)年に7代藩主・立花鑑通(あきなお)が柳川城内三の丸の長久寺境内に社を建立し道雪を祀ったことが始まりで、文政9(1826)年に9代藩主・鑑賢(あきかた)によって現在地に移されました。

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さて、柳川城の痕跡は境内に向かう朱塗りの反橋にあります。遷座の同年に架橋されたもので、擬宝珠は柳川城の二の丸と三の丸を結んだ橋のものなのです。擬宝珠をよく見ると「柳川城之橋也」と刻まれた文字も見られます。

石垣や堀、土塁が残っていることは多いですが、擬宝珠が残っており、今も実際に使われ、直接触れられるのは貴重なことでしょう。思いがけない形で城の痕跡に出合えることに感慨を覚えます。

柳川には田中吉政と柳川城が欠かせません

いかがだったでしょうか。柳川観光はとかく北原白秋や立花宗茂らにスポットライトが当てられますが、実は白秋が愛でた掘割も、宗茂が居城とした城も、宗茂が所領を没収されたのちに柳川に入部した田中吉政によって造られたものなのです。

吉政は豊臣家の忠臣として秀次を補佐。関ヶ原の戦いでは東軍・徳川方に属し、石田三成捕縛の功を上げ、筑後国32万石の大名となりました。吉政は領地の整備、統治機構の構築、農業生産高向上に腐心しましたが、吉政の後を継いだ2代・忠政が後継ぎを残さず若くして亡くなってしまい、田中家は無嗣嫡子で改易。ここに宗茂が復帰するわけです。

吉政によって築かれた柳川城は前述の通り。城下町も現存する町名から往時を偲ぶことができます。吉政の築き上げたものにも目を配って柳川を歩けば、柳川観光はより一層楽しいものになるでしょう。


traveljpは、これです http://guide.travel.co.jp/article/21843/

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